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「戦争を起こした国に責任を取ってほしい」 東京大空襲訴訟 結審

1 名前:出世ウホφ ★:2009/05/22(金) 16:20:43 ID:???0
東京で空襲に遭った被害者らが国に謝罪と賠償を求めた「東京大空襲訴訟」が二十一日、東京地裁で結審した。
原告百三十一人中五十五人は戦争孤児だった。孤児を救済する制度はなく、飢えに苦しみ、親せき宅を
たらい回しにされるなど辛酸をなめた。一年以上、地下道で暮らした山本麗子さん(73)=東京都青梅市=は
「戦争孤児がどうなるか、裁判を通じて多くの人に知ってほしい」と話す。 (橋本誠)

山本さんは九歳だった一九四五年五月二十四日未明、品川区の自宅で空襲に遭った。
父は重傷を負い、同十月に死亡。後を追うように母親も亡くなった。

兄、弟と別れ静岡県の親せき宅へ。昼は山から薪を運び、夜は海水を沸かして塩を作る重労働をさせられた。
小学校には行かせてもらえず、十一歳のとき、別の親せき宅に身を寄せていた弟が病死したのをみとって、家出を決意した。

十数日かけて歩き、たどり着いたのが上野駅の地下道だった。裸電球がついたトンネルの壁際に、
びっしり人が座っていた。子どもも大人も顔は真っ黒。横になる空間はなく、座ったまま、防空ずきんをかぶって寝た。

昼間も外に出ず、うずくまって過ごした。時折ボランティアが届ける食べものに駆け寄るだけの日々。気力は出てこなかった。

「おにぎりを二個もらえたら、一つずつ二日に分けて食べる。周りと話すこともない。
『今日はおばさん、おにぎり持ってきてくれるかな』と、それだけでした」

一年以上地下道で暮らし、祖父宅に近い茨城県の寺へ。その後、東京の料理屋で働き、
結婚して子どもにも恵まれたが、別れた兄とは一度も会えず、数年前、亡くなった病院から連絡を受けた。

新聞で大空襲訴訟を知り、昨年三月の二次提訴に参加した。体調が悪く、一度も傍聴していない。
結審の日も医師の許可が出ず、裁判所に行けなかった。

「家族のことはひとときも忘れたことはありません。今も世界中で、戦争で子どもが殺されていて、
自分と結び付けてしまう。戦争を起こした国に責任を取ってほしい。判決はどうしても自分で聞きたい」。山本さんはそう願っている。

東京新聞 【社会】飢え、重労働、地下道生活… 東京大空襲訴訟 結審 2009年5月22日 夕刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009052202000222.html


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